訃報|人間国宝・島袋正雄さん

島袋正雄先生からの手紙島袋先生からの手紙

琉球古典音楽の人間国宝・島袋正雄さんが24日午前1時10分うるま市の病院で死去した。老衰とみられる。95歳。(出典:琉球新報 4/24(火) 11:04配信分)

芸能コンクールでお世話になった沖縄在住の方から「お元気にお過ごしです」という話を数年前まで聞いておりましたが、このたびの訃報に接し心からお悔やみ申し上げます。

 

琉球新報頂いた琉球新報の島袋先生の記事

 

島袋先生と初めてお会いしたのは大阪での記念公演直後の打ち上げの席です。といっても会の中では下っ端も下っ端ですから、会場を右へ左へ仲居さん係。宴会の後片付けが終わってやっと下っ端弟子とお話しする時間を作って下さいました。

「こ・・・国宝さん。オーラが凄っ!」と心底思った弟子入り1年目です。

沖縄で芸能コンクール出場後、当時の師匠と弟子の3人で島袋先生のお宅へ訪問しました。アポなし訪問(後から師匠に聞いた話)でしたので島袋先生は不在。奥様が応対下さいました。

 

琉球新報

 

後々、お筝(琴)の先生から「コピーとったから読みなさい」と頂いたのが、琉球新報に連載された島袋先生の記事です。三線を初めて目にして手にして弾き始めてから、現在(掲載当時)までが書かれてあり興味を持って読みました。

 

琉球新報

 

記事によると、当時は三線は我流中心。弾ける人がいたらその人に習って覚えるみたいな感じ。先生のお父様も正式に稽古は受けず我流で村芝居の時に後方で演奏。先生は、そういう場面を見ながら子供時代、覚えた旋律を思い出してひとつひとつ弾いていたそうです。(出典:琉球新報)

 

琉球新報

 

三線の我流は29歳で終了。正式に野村流音楽協会へ入門し三線を習い始めます。後々、習いたい友人達が集まり月謝2ドル(隔日)で指導を受ける。当時は録音機器が無かった時代なので、集中力と努力で耳を養うことで上達していくしかなかった・・・・続く。

以下、読みふけってしまいブログ記事にするには数ページに渡りそうなので記事はひとまずここまでにします。

 

記事に登場したウチナーグチや言葉など

デキランヌー:頭の悪い子
タマシンネーン:不用心だ
オウハンブザー:チャンプル
嘉利(カリー):縁起
タンメー:老人
じゃんな:優雅、エレガント
ちゅらがーきー:美人

「良い友(どぅし)連(ち)りねー、畳ぬひぃくむしが、悪(やな)友連りねー、縄な掛かいんどー」
意味:良い友達を持つならば、畳座に座ってゆっくり話もできるが、悪い友達を持つと悪に染まって警察沙汰になるよ。

「欲(ゆく)や持(む)っちしむしが、悪欲(あくゆく)や持とぅな」
意味:生きるための欲は持っても良いが人に危害を与えるおうな欲は持つな。

「人(ちゅ)喰(く)わいねー 穴なー 二つ掘(ふ)り」
意味:良い地位に付いている人を悪だくみして穴に落とすならば、自分も落ちる用意をしなさい。

 

 

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